日々の掃除
わたしは掃除が嫌いじゃないけど、できない。
そういう生活習慣が身についていないから、パパッとできない。
週に一回だけ日曜日にえいやっと掃除機をかける。
でも忙しいとそれもできない。
新しい掃除機はフーヴァー社のコードレスのスティックタイプ。
掃除をするという困難さを克服するために、簡単にできるようにと買ったものだけど、ゴミの取り出しがいつもうまくいかないのでそこが引っかかって気が重い。
フローリングの床は水拭きとか、あまりしない。
一人なので適当だ。
水回りだけはこまめに掃除している。
友人が昔言ったことを未だに覚えている。
水回りをきれいにしないと婚期が遅れるとか、恋愛運が悪くなるとか。
ずっときれいにしてきたけど、別にいいことはなかったナ。
それにしても、埃って、積もるなァ。
放っておくとうず高く積もる。
なんで。
どこからやってくるのだ?
今日は起きてすぐ、朝食もたべずに狂ったように2階の埃のところを全部拭きました。
狂ったようにやるのがいい。
勢いがついて、盲目で。
Sat 19.08.17
今日は2階の片付けをした。
1995年からずっと捨てずにとっておいた母や友人からの手紙や写真を捨てることにした。
昔はメールがなかったから、手紙や葉書で連絡を取り合っていたんだった。
思い出がぎゅっと詰まったものだけど、重くもあるのでさっぱり捨てることにした。
友人曰く、母からの手紙は絶対に捨てちゃダメ、とのことだったけど、もう捨てちゃう。
過去は結構混迷していたから、むしろ捨てたいのかもしれない。
とある国際結婚のマンガ日記みたいなのをネットで見つけてちらっと読んでみたら、そのカップルはオンラインデイトのサイトで出逢ったらしく、へえ!と思う。
そういう出逢いって本当にあるんだなァ。
とてもしあわせそう。
わたしはといえば、10年以上付き合っていたひとと別れて、というか、付き合っていなかったのかもな、と今は思うんだけど、それが発端で「アダルトチルドレン」とか「インナーチャイルド」とか「共依存」とかのことばを知っていくことになり、今があるわけなのだった。
この2年で自分は変わった。
落ち着いてきたので、パートナーが欲しいなとも思うんだけど、思ったところですぐには見つけられないし、実際はいなくてもいい状態だから、真剣味に欠けて動きがない。
実はさっき、UKのオンラインデイトのサイトを見てみたんだけど(登録もした)、うーん、現実は怖い。
恋人を探している人が怖い。
すぐに登録を取り消した。
在英が浅くて、外国人に慣れていない状態で、好奇心と寂しさを満たすためだったら冒険だってできるんだろうな。
出逢った人にどこか知らないところに連れて行ってもらったり、いろいろ教えてもらったりして、たのしいな♡とか思ったりできるんだろうな。
わたしはもうできないよ!
Fri 18.08.17
昨夜はうまく眠れなくて、朝方までネットの海に溺れていたので、ネットから距離を取ることは失敗に終わった。
ネットをしないことで、日頃の疲労感に変化があるか知りたいのだった。
朝起きてネット、ご飯たべながらネット、移動中にネット、休み時間にネット、待ち時間にネット、帰宅してネット、寝る前にネット、このネトネト状態を少し減らしたら眼精疲労とか肩こりが軽減されるのではないか知ら。
休み時間と待ち時間のネットはOKにして、あとはダメ、っていうのをやってみたい。
明日、やろう〜。
人間っつーのは、どんなものなんだろう。
集団でいるときに、みんなリラックスして自由に発話し、受け入れられて、笑って、無理のない状態で過ごしているものなのだろうか。
わたしは昔家族と住んでいたときにそういう状態があった記憶があるけど、あとはわりと緊張している。
笑いをとりたいとか、話すタイミングは今か?とか、ハズしたとか、まずい言いすぎたとか、帰りたいとか、なんかそんなことを頭の中でカチャカチャやっている。
無条件で受け入れてくれる集団に、今自分は属していない。
いわばイッピキ狼ふうである。
あと10年、長くて15年か、父母は他界するだろう。
兄弟はいるけど、世界は遠い。
わたしはだんだん本当にイッピキ狼になる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今これを書き終えてツイッタを見たら
⑫それでもそれらの日々を――命と引き換えに何かを追い求める日々を――職業的に繰り返していくうちに、私の中にはある種の感情が芽生えていった。それは(はずかしげもなく書けば)かつてサンテグジュペリも著したような、仲間や同業者への尊敬と信頼、そして友情といった感情だった pic.twitter.com/T8ux6TefSg
— 三浦英之 (@miura_hideyuki) 18 August 2017
こういうのはいいなあ。
わたしなんか尊敬している人っていないもの。
むしろ莫迦にしていたりするような感じのような気持ちだ。
でも、こういう人もいるっていうのは希望だな。
そうゆう友情や人間関係も存在するってことだから。
いいよな。
Thurs 17.08.17
ハレ
いつも起き抜けに見るツイッタを見ず、ストレッチしてから、りんご、バナナ、プラム、ケール、レモンのスムージー作る。
今日はできるだけネットから離れることを意識しようと思い、どんな禁断症状が出るのか観察中。
壮大なプロジェクトである紙ものの片付け続行、全体の1/4終了。
散歩。
銀行で家賃2か月分おろす。
大金抱えたままカフェへ。
わたしはいろいろなものを持っているけど、持っていないものもある。
持っていないがゆえに、ときどき持っている人に「嫉妬」する、「妬む」。
そういう心の活動はわりと無駄であるということも知っているんだけど、それでもふいに発動する。
発動するとすぐに囚われて、動けなくなる。
それで今回いろいろ考えてみたんだけど、「妬む」みたいなことは自分の欲の現れで、自分で自分に足りない何かを不満に思っていることで、理想と現実の間のギャップに苦しむということかな、と。
それはその点に関しては自分はハッピーではないということになるので、では、なにが一体不幸(不満足)なのか、思いつく限りを書き出してみた。
11個の不幸があった。
それで、その不幸をどうしたら満足という幸せに変えられるのかと考えたんだけど、それは案外途方も無いことで、なかにはひとりではできないことまである。
うーーーーーん、と唸っていたら、ぱっと閃いた。
「あきらめるんだ!」
ネガティヴな解決策のようで、実はポジティヴな意識がないと本当にはあきらめきれないと思う。
そこには自己肯定感が必要だし、「あきらめた」ら他者との間に境界線もひける。
ネガティヴにあきらめる場合はいつまでも引きずるだろう。
ツイッタでクリシュナムルティという人のことばを知ったけど
「私たちはこうありたいと思っている自分ではなく、あるがままの自分を知らなければいけません。こうありたいと思っている自分とは、単なる理想であり、架空の非現実なものなのです。変革することができるのは、あるがままのものだけであり、こうありたいと望んでいるものではないのです」
とかね。
そうかもなー。
おまけに「あきらめる」と決めたら、どうしてもあきらめたくないことも見つかった。
とてもシンプルで、あきらめることはあきらめる、でもあきらめたくないことはあきらめない。
初めの思考のきっかけになった「妬み」は当然あきらめるに値するある意味どーでもいいことで、つまり、あきらめることで欲望の断捨離ができたということだ。
よかったー。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
あと負け惜しみのようでもあるけど真実でもある、わたしがそれを持っていない代わりに、だからこそ得ているものってあると思う。
欲しいものが手に入ると消えてしまうもの。
でも、消えてしまってもまた違うステージに進むので、とりあえず、自分を信じていけば生きやすくなると思う。
Wed 16.08.17
英国では英語で日にちを記すときは日本語とワードオーダーが異なる。
今日は水曜日で16日で8月で17年。
あっという間に月日が過ぎた。
気がついたらもういいトシになっていて、晩年に近づいている。
その事実にびっくりするけど、日本人ならではの年齢不詳の外見を盾にして、子どものふりをしたり大人のふりをしたり、わりと自由自在。
独居生活が長いからか、どんどん偏屈になっていくようでもある。
烏合する必要もなく、扶養する輩もなし、また庇護もされないので、自分の思想を純粋培養していてときどきヤバい。
独居生活
Brixton Villageのコーナーコピアという店にねこがいる。
ちゃとらで名前はジンジャー。
機嫌がいいときは砂糖入りのミルクティのように甘く、機嫌が悪いときは目が三角になっている。
ほとんどいつも不機嫌。
その店で石鹸皿を買い、帰宅してバスルームに置く。
銀に光る金属ふうのと、素朴な木の石鹸皿のとどちらか迷って木のほうにしたが、洗面台に置いたらすぐ馴染んだ。
最近は身辺をさっぱりさせたいと物を買わないようにしているのだが、やはり新しいものを買うと少しうれしい。
倫敦には長く住んでいる。
その間ずっと一人で、わりと引きこもりガチ。
フラットシェアをしたときもあったが、雑音に神経質なので、消耗した。
(冷蔵庫などの電子音はむしろすきなのだが…)
せっかく英国に住んでいるというのに、友人は乏しく、イベントごとにも行かず、何もしていない。
仕事が人と関係する類の職なのでもうそれだけで十分な感じだ。
海外独居生活を書き綴ってみたいと思う。
習作。